妹がした最初で最後の親孝行
母が3月21日の1時20分に永眠しました。 昨年12月25日 すい臓がんステージ4の診断を受けて 約3カ月になろうとしていました。 入退院を3度繰り返し 3月18日の日中に容体が急変。 4度目の入院でした。 父から知らせを受けましたが 仕事を抜けることができず 病院へ到着したのは21時過ぎ。 18日から19日が山だと主治医から言われ 私だけ病院に泊まりました。 19日も仕事を休むことが出来ず お昼前に父と弟にバトンタッチしました。 午前中から激しい痛みがあり 午後からモルヒネの使用を開始。 1時間1回、モルヒネを投与して 痛みが抑えられる量まで調整がされました。 春分の日の20日、身支度をして 病院へ出向きました。 その時は病室が変わっていました。 大きなソファー トイレ、湯舟付きのお風呂がある かなり広い病室でした。 最初にいた部屋は緊急用とのことで 看護師から広い部屋への移動を お願いされたそうです。 病室に入り母の様子を見ると かなり衰弱していました。 けれど、時折ベッドから置きあがり 弟や私が椅子に座りながら 母の両手を持って支えました。 母の真正面に座り 手を支えながら、母の目を見ていた時 悲しいというより、何とも言えない穏やかさを感じました。 「梶山家(母の旧姓)の長女は、しっかりされていますね」と 伝えると母は 「何言ってんの。」という表情をしていました。 病室のテレビは インターネットと接続していて YouTubeが観れました。 母の好きなルイ・アームストロングやアバを部屋に流しました。 その中でも一番のお気に入りは ナット・キング・コール でした。 母が日本の曲を聞かないことを 私は知っていて 「お母さんたちが若い頃の時代の曲は 昭和枯れすすき みたいに暗い曲が多いから好きじゃないのよね。」と 声をかけると モルヒネで意識が朦朧としている中でも 少し笑顔になり、頷いていました。 少し時間が経過した時 急に立ちたいと要望を伝えてきた母。 体についているチューブなどを 看護師に移動してもらい 弟と私で母の体を支えました。 なんと、母は数秒、立ったのです。 これには私たち家族、看護師もビックリ。😆 病室は笑いと笑顔で溢れました。 その後、母は横になり 昏睡状態のようになりました。 21日も予定が入っていた私は 臨終に立ち会えなくても大丈夫。と...



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