叔母の死から学んだこと

 4月22日、母方の叔母が永眠しました。
肺がんからすい臓、全身に癌が転移しており
3月下旬の時点で余命2カ月と診断されました。

4月初めに放射線治療の為、6日間入院。
叔母は手術及び延命治療を拒否し
在宅療養を選択しました。
病院にいれば
親族としては安心ですが
自宅へ戻りたいという
本人の強い意思を尊重しました。
叔母本人はやらないといけないことが
残っていて入院どころではなかったようです。

退院した日の午後には
訪問看護師、訪問診療医が来ました。
日常業務とはいえ、訪問看護師と訪問治療医の
適格な判断と即時対応力に驚かせました。
よく機能していました。

その後、数回、一人暮らしの叔母の家へ行き
サポートをしました。
右半身全体に強い痛みがあり
辛そうな様子を見る度、母方の祖父に
「あまりに辛そうです。早く迎えに来て欲しい」と
強くお願いしました。
ある日、訪問治療医から「点滴をしますか」との問いに
「細胞に水を供給すると、生き続けることになりますよね?」
「その通りです」
「でしたら、点滴はしないでください」と
迷うことなく私は答えました。

親族で最後に話しかけたのは私。
癌患者は答えられなくても 最後まで耳が聞こえているというのを実体験しました。

叔母が退院前後に気にかけていた事柄を対応して 報告に来るから。と伝えて私は帰宅。
翌朝、呼吸をしていないと訪問看護師から連絡があり
その後は同じ週の金曜日の葬儀まで 一気に物事が進みました。

叔母の病気が分かって以降、友達や生徒たち
日ごろからお世話になっている方々から
いただいた多くのアドバイスのお蔭で慌てることなく
様々な事に取り組めました。
現在は、遺品整理や様々な解約手続きなどを
弟と分担して進めています。
少々、厄介なのは某公共放送局受信料の解約。
解約用紙と共に
除籍謄本か除住民票のいずれかを
同封しないといけない。😞
その除籍謄本も除住民票を
役所に発行してもらうのも大変。

母方の姉弟たちはいずれも高齢で
遠い地域に暮らしています。
法定相続人ではないけれど
弟と私でやるしかない状況です。
これから司法書士の先生に
相続の件をお願いして
四十九日を迎える6月に納骨して
ひと段落という感じでしょうか。
人一人が亡くなるというのは
想像以上に大変。
正直、泣いている暇さえありません。

私は叔母の遺品整理をきっかけに
自宅の断捨離に着手しました。

下の写真は叔母の遺品
ボヘミアガラス。


最初の写真は叔母が20代半ば頃のもの。 祖父が初めて福岡から上京し
親族で日光を観光した際、華厳の滝で撮影した。
着ている洋服で分かる。と
意識がはっかりしていた頃に
叔母が教えてくれました。

抱っこされている、ちんちくりんは2歳ぐらいの時の私。😅
自宅のタンスの上には、私たち姪や甥たちが小さい頃に
撮影した集合写真が飾られていました。

武士の末裔らしく
私より遥かに人を見抜く洞察力があり
発する言葉は私より毒舌で厳しい。
一方で「入院中、お肌の手入れができなかった」と
いくつになっても女子的で
笑い声にさえ「品格」が宿っている素敵な叔母でした。
八重桜が一気に散るように潔く旅立ったと
友達が評した通りの最後でした。

連絡を受けて叔母の家へ向かう最中に
伊集院静さんの著書を思い出しました。

「幸福のすぐ隣に哀しみがある」

確かに叔母が亡くなった日の
街の風景はいつもとは違っていて見えました。
伊集院静さんの言葉の意味がようやく分かりました。

今回、叔母の看護や死について
多くを学びました。
遺族は悲しみを抱えているけれど、生きている。
だから、時間が来れば当然、お腹が空く。
そして、看護する側(親族)には
仕事や生活がある。
様々な矛盾や哲学的なことを感じるのが
人の「死」や看護なのかもしれない。
永遠に正解が出せない
人の「死」や看護について
多くを語れる
世の中であって欲しいと思います。

皆さま!
今日もブログをお読みいただき
ありがとうございました。
叔母も喜んでいると思います。
違ったらごめんね。叔母さん!😂

心身ともにリラックスな
週末をお過ごしください!

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