藤田嗣治と里親会
9月のある日曜日
4年前のユキとのお見合いを
思い出していました。
思い出していました。
その時、ユキは「みずあめ」という
仮の名前でした。
仮の名前でした。
待ち合わせ場所へ行き
トライアルの説明を受けて
その場で答えが出せず
しばらく、保護主のTさんに
待っていただきました。
帰り道も本当に私に育てられるだろうか…と
自問自答を繰り返していました。
決心したのは1週間後。
覚悟できれば、行動の早い私。
後は、初期のこのブログ投稿を
読んでいただければ
おおよそ、お分かりいただけるはずです。
この日も子猫を中心に
里親会が行われていました。
年賀状やSNSのやり取りで
Tさんと繋がっていただけですが
4年間一度もお会いしていないとは
思えないほど、会話が弾みました。
お約束のフードをお渡しし
次の目的地、上野へ移動です。
東京都美術館で開催の藤田嗣治展を鑑賞。
藤田嗣治の代名詞
「乳白色の下地」も素晴らしかったけれど
フランス滞在の初期の作品から
白の美しさを強く感じ
1930年代の北米、中南米、アジアの絵画から
太平洋戦争期の作戦記録画への繋がりは
圧巻の一言でした。
晩年は、愛らしいものへ注がれる
藤田の優しいまなざしから生まれた絵画と
手仕事の作品に心を奪われました。
とても繊細な線と観察眼の凄さ
ユーモアがあり、そして
トライアルの説明を受けて
その場で答えが出せず
しばらく、保護主のTさんに
待っていただきました。
帰り道も本当に私に育てられるだろうか…と
自問自答を繰り返していました。
決心したのは1週間後。
覚悟できれば、行動の早い私。
後は、初期のこのブログ投稿を
読んでいただければ
おおよそ、お分かりいただけるはずです。
この日も子猫を中心に
里親会が行われていました。
年賀状やSNSのやり取りで
Tさんと繋がっていただけですが
4年間一度もお会いしていないとは
思えないほど、会話が弾みました。
お約束のフードをお渡しし
次の目的地、上野へ移動です。
東京都美術館で開催の藤田嗣治展を鑑賞。
藤田嗣治の代名詞
「乳白色の下地」も素晴らしかったけれど
フランス滞在の初期の作品から
白の美しさを強く感じ
1930年代の北米、中南米、アジアの絵画から
太平洋戦争期の作戦記録画への繋がりは
圧巻の一言でした。
晩年は、愛らしいものへ注がれる
藤田の優しいまなざしから生まれた絵画と
手仕事の作品に心を奪われました。
とても繊細な線と観察眼の凄さ
ユーモアがあり、そして
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